2020.03/28 [Sat]
武田信玄妹で諏訪頼重正室禰々御料人の死は自殺だったのか?
津本陽の「武田信玄」では武田信玄妹で諏訪頼重正室の禰々御料人が夫の頼重の死が原因で自害したように描かれていますが。
しかし、いくら夫の死の翌年の、その急速な印象の彼女の死であるからとはいえ、私は禰々御料人の自説説には疑問を覚えます。
これもその説が小説発である、諏訪御料人の諏訪湖での自殺説くらい、疑わしい印象がこれも強く。
父の頼重に続き、母の自分までもが死んでしまえば息子の寅王が諏訪氏の家督相続において、息子の寅王が一層不利な立場になりかねないことくらいは禰々御料人だって想像がついたでしょうし。
彼女自身の気持ちとしては、何とか息子の寅王の家督相続のために生きようとしていたのではないのでしょうか。
しかし、やはり、夫の頼重死去後の心労により、彼女の身体の方がついていかなかったということなのではないでしょうか。
そもそも、兄の武田信玄の諏訪侵攻、更に頼重が信玄に降伏して甲府に連行された後、ついには東光寺で頼重が自害させられてから果たして禰々御料人はどの程度、兄の信玄を信用していたのかという疑問はありますが。
それは天文十一年九月の宮川の戦いの際には高遠頼継との戦いにより、諏訪氏の正当な後継者として、この合戦の武田軍の旗印として、信玄により寅王が擁立されてはいますが。
とはいえ、兄信玄に対して疑念があったにせよ、禰々御料人の立場としては、兄の信玄が寅王に諏訪氏の家督を継がせてくれることを信じるしかなかったのでしょうが。
実際にも彼女自身からもそうした訴えが信玄に対して行なわれたことも考えられますし。
しかし、いくら夫の死の翌年の、その急速な印象の彼女の死であるからとはいえ、私は禰々御料人の自説説には疑問を覚えます。
これもその説が小説発である、諏訪御料人の諏訪湖での自殺説くらい、疑わしい印象がこれも強く。
父の頼重に続き、母の自分までもが死んでしまえば息子の寅王が諏訪氏の家督相続において、息子の寅王が一層不利な立場になりかねないことくらいは禰々御料人だって想像がついたでしょうし。
彼女自身の気持ちとしては、何とか息子の寅王の家督相続のために生きようとしていたのではないのでしょうか。
しかし、やはり、夫の頼重死去後の心労により、彼女の身体の方がついていかなかったということなのではないでしょうか。
そもそも、兄の武田信玄の諏訪侵攻、更に頼重が信玄に降伏して甲府に連行された後、ついには東光寺で頼重が自害させられてから果たして禰々御料人はどの程度、兄の信玄を信用していたのかという疑問はありますが。
それは天文十一年九月の宮川の戦いの際には高遠頼継との戦いにより、諏訪氏の正当な後継者として、この合戦の武田軍の旗印として、信玄により寅王が擁立されてはいますが。
とはいえ、兄信玄に対して疑念があったにせよ、禰々御料人の立場としては、兄の信玄が寅王に諏訪氏の家督を継がせてくれることを信じるしかなかったのでしょうが。
実際にも彼女自身からもそうした訴えが信玄に対して行なわれたことも考えられますし。
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