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武田信玄妹で諏訪頼重正室禰々御料人の死は自殺だったのか?

津本陽の「武田信玄」では武田信玄妹で諏訪頼重正室の禰々御料人が夫の頼重の死が原因で自害したように描かれていますが。
しかし、いくら夫の死の翌年の、その急速な印象の彼女の死であるからとはいえ、私は禰々御料人の自説説には疑問を覚えます。
これもその説が小説発である、諏訪御料人の諏訪湖での自殺説くらい、疑わしい印象がこれも強く。
父の頼重に続き、母の自分までもが死んでしまえば息子の寅王が諏訪氏の家督相続において、息子の寅王が一層不利な立場になりかねないことくらいは禰々御料人だって想像がついたでしょうし。
彼女自身の気持ちとしては、何とか息子の寅王の家督相続のために生きようとしていたのではないのでしょうか。
しかし、やはり、夫の頼重死去後の心労により、彼女の身体の方がついていかなかったということなのではないでしょうか。
そもそも、兄の武田信玄の諏訪侵攻、更に頼重が信玄に降伏して甲府に連行された後、ついには東光寺で頼重が自害させられてから果たして禰々御料人はどの程度、兄の信玄を信用していたのかという疑問はありますが。
それは天文十一年九月の宮川の戦いの際には高遠頼継との戦いにより、諏訪氏の正当な後継者として、この合戦の武田軍の旗印として、信玄により寅王が擁立されてはいますが。


とはいえ、兄信玄に対して疑念があったにせよ、禰々御料人の立場としては、兄の信玄が寅王に諏訪氏の家督を継がせてくれることを信じるしかなかったのでしょうが。
実際にも彼女自身からもそうした訴えが信玄に対して行なわれたことも考えられますし。
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プロフィール

KAGARISAYO

Author:KAGARISAYO
私は長年の間、武田信玄正室三条夫人について、その研究を続けています。そして私は、三条夫人の復権と積極的な再評価を目指しています。
私は昔から三条夫人についての、その数々の否定的な扱いや評価には、納得がいかないものを感じ続けていました。


どうもその恒例の彼女の悪女扱いも、彼女が個別でそのように捉えられているというよりも、徳川家康正室でこれも悪女だとされる、築山殿と同一視されている気配を何かと感じてしまうし。更にその内に、これはぜひとも自らの手で、三条夫人の実像、そして彼女が武田信玄正室として、どう生きたのか?
その生涯について、解明したいと思うようになりました。


また、彼女の他にも武田勝頼生母の諏訪御料人など、武田信玄関連の女性達については、史実に基づかない、捏造された逸話ばかりが流布しており。
私はこうした現状を憂慮し、ぜひ、なるべく史実に沿った情報の発信をしていきたいと思っています。それから、このブログ名になっている「西方の一美人」というのは、武田信玄もその学識や人物に深く傾倒し、親しく交流していた名僧快川和尚がその追悼の言葉の中で三条夫人を評した「愁殺す、西方の一美人」という一節。
ここから採ったものです。


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